鬼レズはマッハで走るR

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スピーチ全文書き起こし 0805杉田水脈議員の差別発言に抗議する渋谷ハチ公前街宣 

おひさしぶりですー。

骨折して体力落ちたところに鬱と喘息がガンギマリでウミウシのように寝込んでましたが。

先日、なんと当日の3時間半前にスピーチの依頼があって話してきましたので、その書き起こしと録画した方のYouTubeへのリンクを備忘録的に。

細かい脚注、こぼれ話などは後日追加します。

 

【動画】

www.youtube.com

 

【スピーチ】

いま、紹介にあずかりましたレズビアン活動家の土屋ゆきです。みなさん、こんにちは!

暑いですね。今日は「ここに来ようかな、どうかな」といったような話をツイッターに書いたら、ちょっと主催のタニ君から「ちょっと話しなよ」とかいきなり言われて、それから泥縄で原稿を書いて送ってOKをもらって。これからその原稿を読んでいこうと思います。


こんなすごーく暑い8月になると、毎年思い出すある日があります。1994年。もう、いまから25年近く前のことです。日本で初めてレズビアン&ゲイ、その頃はまだトランスジェンダーという言葉は一般的ではなかったんです。レズビアン&ゲイのパレードがココ東京で初めて日本で行われました。その時の鳥肌の立つような感動をワタシは今での鮮明に覚えています。25年前のことです。こんな風にすごく暑くて、カンカン照りの灼熱の夏の日でした。あの時、ワタシを含めたレズビアンたちが初めて路上で「カムアウトカムアウトレズビアン!」とそう叫んだのを今でも鮮明に思い出します。「ここから何もかも始まるんだ」とそう思って目の前が涙でかすんだと思いました。実はこんな風に暑かったので脱水症状を起こしていたんですよね。(笑)

なんで、皆さんもちゃんと水を飲んでください。ワタシの後にはまだまだもっといいお話をしてくれる人たちがいますので。

 

さて、そんな風にワタシは当時まだ活動家でも何でもない確かまだ23,4歳の単なる「何かしたい」という気持ちだけあったレズビアンのひとりでした。まだ20代でした。そこからずーーーっと時間が経って、今ワタシは49歳になりました。更年期をおして、こんな暑い中ここまでやって参りましたが。このほぼ四半世紀の間、ワタシたちはどんな風に思われてきたでしょう? 「ホモネタは笑い、レズネタは抜く」そんな屈辱的な時代をワタシたちは生き抜いてきました。ワタシが同性間パートナーシップの社会的・法的保証の女性の団体を作ったときもあざ笑われました。
今回の杉田水脈議員の「生産性」(ゼスチャー)、「生産性」の記事を読んで、ワタシはどう思ったか。実は大して傷付きませんでした。なぜなら、ワタシはずっと差別され続けていたから。声をあげても無視され続けていたからです。だけど、こんな尊厳を貶められるようなこと、慣れていいと思いますか? 慣れていいと思いますか!? (会場~だめだ!)そう、こんなこと慣れてはいけません! いけないですよね!? (会場~そうだ!)

 

いま、時代はあの94年のパレードが始まった頃のように大きな転換点を迎えているとワタシは思います。こんなに多くの人が集まり、あの94年のころはほとんどの人がサングラスをかけマスクをしていた時代、今はほとんどの人がこうやって顔を出して。声を出しています。この動き、この流れ、止めてはいけないと思います。止めていいと思いますか!? (会場~だめだ!)

あなたたちが、ワタシが、この怒り、この尊厳をもって、抗議をずっと、また、何十年も続けていきましょう。差別をはねのけましょう!

一瞬だけ燃え上がる夢ではなくて、夢を現実にしましょう!

 

続けよう!

 GO ON!(GO ON!)GO ON!(GO ON!)

誇っていきましょう!

 PRIDE ON!(PRIDE ON!)PRIDE ON!(PRIDE ON!)PRIDE ON!(PRIDE ON!)

ありがとうございました。